2010年01月28日
ふと思った('σЗ')
道の駅めぐりしよっかな(*≧m≦*)
道の駅って
全国に917箇所もあるんだって!!
和歌山だけかと思ってたことは秘密…
その中で和歌山には
なんと20駅あるらしい
ってことで時間のあるとき巡っちゃいます
①しみず
②SanPin中津
③ふるさとセンター大塔
④龍神
⑤イノブータンランド・すさみ
⑥志原海岸
⑦熊野古道中辺路
⑧しらまの里
⑨みなべうめ振興館
⑩紀州備長炭記念公園
⑪瀞峡街道熊野川
⑫紀の川万葉の里
⑬奥熊野古道ほんぐう
⑭おくとろ
⑮水の郷日高川龍游
⑯明恵ふるさと館
⑰根来さくらの里
⑱あらぎの里
⑲一枚岩
⑳白崎海洋公園
道の駅って
全国に917箇所もあるんだって!!
和歌山だけかと思ってたことは秘密…
その中で和歌山には
なんと20駅あるらしい
ってことで時間のあるとき巡っちゃいます
①しみず
②SanPin中津
③ふるさとセンター大塔
④龍神
⑤イノブータンランド・すさみ
⑥志原海岸
⑦熊野古道中辺路
⑧しらまの里
⑨みなべうめ振興館
⑩紀州備長炭記念公園
⑪瀞峡街道熊野川
⑫紀の川万葉の里
⑬奥熊野古道ほんぐう
⑭おくとろ
⑮水の郷日高川龍游
⑯明恵ふるさと館
⑰根来さくらの里
⑱あらぎの里
⑲一枚岩
⑳白崎海洋公園
2010年01月19日
☆お久しぶりでした☆
だいぶ更新さぼってたなぁ('σЗ')
今日からがんばろ~
ってことでとりあえず…
最近の近況報告
同級生たちと
有馬温泉に旅行に行ってきましたぁ
金の湯へ入水
すっごい癒されて来た
んでんで
異人館
途中違う異人館に着いたりと色々あったけど
無事、満喫
おまけ
神戸版マンホール
地域限定マンホール(*≧m≦*)
いいよねぇ♪
はいお土産
六甲山のプリン+.゚(*´∀`)b゚+.゚イィ
今日からがんばろ~
ってことでとりあえず…
最近の近況報告
同級生たちと
有馬温泉に旅行に行ってきましたぁ
金の湯へ入水
すっごい癒されて来た
んでんで
異人館
途中違う異人館に着いたりと色々あったけど
無事、満喫
おまけ
神戸版マンホール
地域限定マンホール(*≧m≦*)
いいよねぇ♪
はいお土産
六甲山のプリン+.゚(*´∀`)b゚+.゚イィ
2009年12月28日
楽☆雪☆楽
初スノーボードに行ってきましたv(。・ω・。)イエイ♪
かなり楽しかったよ♪
場所は滋賀県の箱館山
初めて滋賀県に行ったかも…
まだ×2雪は少なかったけど
琵琶湖が見渡せるところですごい綺麗だった。
良い思い出
また行きたいね(* ^ω^)ゞ
でも×2かなり筋肉痛
わけのわからんところが痛い
えっ!!
そんなとこ…みたいな
かなり楽しかったよ♪
場所は滋賀県の箱館山
初めて滋賀県に行ったかも…
まだ×2雪は少なかったけど
琵琶湖が見渡せるところですごい綺麗だった。
良い思い出
また行きたいね(* ^ω^)ゞ
でも×2かなり筋肉痛
わけのわからんところが痛い
えっ!!
そんなとこ…みたいな
2009年11月30日
京都散策
京都散策第3弾
見てない方はこっちもね
第1弾「嵐山」
http://ryusei.ikora.tv/e330072.html
第2弾「東福寺」
http://ryusei.ikora.tv/e330192.html
そして今回がラスト!!
清水寺夜間ライトアップ~*☆彡
三重塔
三重塔とは
江戸時代初期、重要文化財。
平安初期847年創建と伝え、現塔は古様式に則って寛永9年(1632)の再建。
日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱。
昭和62年(1987)解体修理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。
一重内部に大日如来像を祀り、四周の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されている。
清水の舞台
清水の舞台とは
堂と舞台―江戸時代初期、国宝。
優美な起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和する。
寛永10年(1633)再建、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。
そして錦雲渓の急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱を立て並べて支えている。
下から見てみた
ほんと上手く見せてるよなぁ
幻想的な雰囲気がすごい感動
見る機会があったら是非見てほしいな
おまけ画像
成就院へと続く道と灯篭
成就院とは
江戸時代初期の寛永16年(1639)、東福門院和子の寄進によって再建。
創建は、応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺を勧進活動によって再興した
願阿上人の住房に起源。清水寺有力塔中(たっちゅう)として、江戸時代には
清水寺の本願職を担当し、寺の財政・メンテナンスに勤めた。
幕末に勤皇歌僧月照(忍向)・信海兄弟を輩出し、明治~昭和にかけて
中興開山良慶和上(1875~1983)が住持した。
(成就院庭園)
成就院庭園・江戸時代初期、名勝。
相阿弥作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝える。
模範的な借景式(しゃっけいしき)・池泉観賞式の庭園で、“誰が袖”手水鉢・烏帽子石・蜻蛉
燈籠、手毬燈籠などが名高く、五葉松・“佗助”椿が一段と風趣をそえる。
四季風情が深いが、特に“月の庭”として賞美されている。
たまたま特別公開されていた成就院庭園
撮影は出来なかったんだけど
月の庭ってだけあって
なんてゆうか…すごかった!!
見てない方はこっちもね
第1弾「嵐山」
http://ryusei.ikora.tv/e330072.html
第2弾「東福寺」
http://ryusei.ikora.tv/e330192.html
そして今回がラスト!!
清水寺夜間ライトアップ~*☆彡
三重塔
三重塔とは
江戸時代初期、重要文化財。
平安初期847年創建と伝え、現塔は古様式に則って寛永9年(1632)の再建。
日本最大級の三重塔で高さ31メートル弱。
昭和62年(1987)解体修理、総丹塗りと共に桃山様式を示す各重横木の極彩色文様を復元した。
一重内部に大日如来像を祀り、四周の壁に真言八祖像を描き、天井・柱など密教仏画や飛天・竜らの極彩色で荘厳されている。
清水の舞台
清水の舞台とは
堂と舞台―江戸時代初期、国宝。
優美な起り反り(むくりそり)曲線を見せる寄棟造り、桧皮葺きの屋根や軒下の蔀戸など、平安時代の宮殿、貴族の邸宅の面影を伝え、四囲の音羽山の翠緑と見事に調和する。
寛永10年(1633)再建、正面36メートル強、側面約30メートル、棟高18メートルの大堂で、堂内は巨大な丸柱の列によって外陣(礼堂)と内陣・内々陣に三分され、最奥の内々陣の大須弥壇上の三基の厨子(国宝)内に本尊千手観音と脇侍(わきじ)の地蔵菩薩・毘沙門天を祀る。
そして錦雲渓の急崖に約190平方メートル、総桧板張りの「舞台」を懸造りにして張り出し、最高12メートル強の巨大な欅の柱を立て並べて支えている。
下から見てみた
ほんと上手く見せてるよなぁ
幻想的な雰囲気がすごい感動
見る機会があったら是非見てほしいな
おまけ画像
成就院へと続く道と灯篭
成就院とは
江戸時代初期の寛永16年(1639)、東福門院和子の寄進によって再建。
創建は、応仁の乱の兵火によって焼失した清水寺を勧進活動によって再興した
願阿上人の住房に起源。清水寺有力塔中(たっちゅう)として、江戸時代には
清水寺の本願職を担当し、寺の財政・メンテナンスに勤めた。
幕末に勤皇歌僧月照(忍向)・信海兄弟を輩出し、明治~昭和にかけて
中興開山良慶和上(1875~1983)が住持した。
(成就院庭園)
成就院庭園・江戸時代初期、名勝。
相阿弥作・小堀遠州の補修とも、松永貞徳の作とも伝える。
模範的な借景式(しゃっけいしき)・池泉観賞式の庭園で、“誰が袖”手水鉢・烏帽子石・蜻蛉
燈籠、手毬燈籠などが名高く、五葉松・“佗助”椿が一段と風趣をそえる。
四季風情が深いが、特に“月の庭”として賞美されている。
たまたま特別公開されていた成就院庭園
撮影は出来なかったんだけど
月の庭ってだけあって
なんてゆうか…すごかった!!
2009年11月29日
京都散策
次は東福寺
三門
三門とは
大仏(天竺)様を思わせる、室町初期の再建
扇額「妙雲閣」は足利義持筆。
楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には
明兆と弟子による極彩画が描かれている。
本堂
昭和9年築の重層入母屋造の大建築
天井の蒼龍図は堂本印象作
奥に写ってるのが通天橋
通天橋とは
仏殿から開山堂に至る渓谷に架けられた橋廊です。
1380(天授6)年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)
が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられ、
歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額をかかげます。
南宋径山(きんざん)の橋を模し、聖一国師が通天と名付けました。
その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したともいわれますが、
その後も幾度か架け替えられ、現在のものは、1959(昭和34)年、
台風によって倒壊したものを1961(同36)年、再建したものです。
通天橋からの風景
夕日と紅葉
真っ暗だけど意外と昼間だよ
三門
三門とは
大仏(天竺)様を思わせる、室町初期の再建
扇額「妙雲閣」は足利義持筆。
楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には
明兆と弟子による極彩画が描かれている。
本堂
昭和9年築の重層入母屋造の大建築
天井の蒼龍図は堂本印象作
奥に写ってるのが通天橋
通天橋とは
仏殿から開山堂に至る渓谷に架けられた橋廊です。
1380(天授6)年、春屋妙葩(しゅんおくみょうは;普明国師)
が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたとつたえられ、
歩廊入口には同国師の筆になる「通天橋」の扁額をかかげます。
南宋径山(きんざん)の橋を模し、聖一国師が通天と名付けました。
その後、第四十三世住持、性海霊見が修造し、長廊を架したともいわれますが、
その後も幾度か架け替えられ、現在のものは、1959(昭和34)年、
台風によって倒壊したものを1961(同36)年、再建したものです。
通天橋からの風景
夕日と紅葉
真っ暗だけど意外と昼間だよ
2009年11月29日
京都散策
京都へ紅葉狩りに行って来た
のでので
まずは嵐山散策
すごい真っ赤
ほんと燃えてるみたい
天龍寺
この襖を抜けると…
すっごい綺麗
おまけ
たまたま写真撮影してた新婚さん
天龍寺とは
臨済宗天龍寺派大本山(正しくは霊亀山天龍資聖禅寺)
1339年(暦応二)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。
この地は、檀林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあったところで、
のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・亀山殿が営まれた。
後醍醐天皇はここで幼少期を過ごした。
夢窓国師は堂塔建立の資金調達のため「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、
1343年(康永二)にほぼ七堂伽藍が整った。
夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。
創建以来、天龍寺は1356年(延文一)をはじめ、8回の大火に見舞われ、
現代の堂宇の多くが明治期の再建。
夢窓国師による庭園(曹源地)は、国の史跡・特別名勝第一号に指定、
1994年(平成六)世界文化遺産に登録
のでので
まずは嵐山散策
すごい真っ赤
ほんと燃えてるみたい
天龍寺
この襖を抜けると…
すっごい綺麗
おまけ
たまたま写真撮影してた新婚さん
天龍寺とは
臨済宗天龍寺派大本山(正しくは霊亀山天龍資聖禅寺)
1339年(暦応二)吉野で亡くなった後醍醐天皇の菩提を弔うために、
足利尊氏が夢窓国師を開山として創建した。
この地は、檀林皇后(嵯峨天皇の后)が開創した檀林寺のあったところで、
のちに後嵯峨上皇の仙洞御所・亀山殿が営まれた。
後醍醐天皇はここで幼少期を過ごした。
夢窓国師は堂塔建立の資金調達のため「天龍寺船」による中国・元との貿易を進言し、
1343年(康永二)にほぼ七堂伽藍が整った。
夢窓国師の門流は隆盛し、天龍寺は京都五山第一位の寺格を誇った。
創建以来、天龍寺は1356年(延文一)をはじめ、8回の大火に見舞われ、
現代の堂宇の多くが明治期の再建。
夢窓国師による庭園(曹源地)は、国の史跡・特別名勝第一号に指定、
1994年(平成六)世界文化遺産に登録
2009年11月14日
橋杭岩
まだまだ続くよ
前回見てない人はこっちもね
↓
http://ryusei.ikora.tv/e321058.html
↓
http://ryusei.ikora.tv/e321058.html
熊野三山巡りからの帰り
通りかかった橋杭岩
けっこう暗かったんだけど
めっちゃ車止まっててん
なんで??
って
んじゃたまたま6日~8日まで
のライトアップやったみたい
色んなバリエーションがあってけっこう楽しめた(^O^)♪
ラッキ♪
橋杭岩:
紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850mもの長きにわたって
大小約40の岩が連続してそそり立っており、橋杭岩とはその岩の総称である。
直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。
また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。
伝承によると、昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い、
弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところであまのじゃくがこのままでは賭けに負けてしまうとニワトリの鳴きまねで
弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師は作りかけでその場を去ったために橋の杭のみが残ったということになっている。
前回見てない人はこっちもね
↓
http://ryusei.ikora.tv/e321058.html
↓
http://ryusei.ikora.tv/e321058.html
熊野三山巡りからの帰り
通りかかった橋杭岩
けっこう暗かったんだけど
めっちゃ車止まっててん
なんで??
って
んじゃたまたま6日~8日まで
のライトアップやったみたい
色んなバリエーションがあってけっこう楽しめた(^O^)♪
ラッキ♪
橋杭岩:
紀伊大島に対向する海岸から紀伊大島方面へ南西一列におよそ850mもの長きにわたって
大小約40の岩が連続してそそり立っており、橋杭岩とはその岩の総称である。
直線上に岩が立ち並ぶその姿が橋の杭のように見えることから橋杭岩と呼ばれている。
また干潮時には岩の列中ほどに附属する弁天島まで歩いて渡ることが出来る。
伝承によると、昔弘法大師が天の邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行い、
弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところであまのじゃくがこのままでは賭けに負けてしまうとニワトリの鳴きまねで
弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせ、弘法大師は作りかけでその場を去ったために橋の杭のみが残ったということになっている。
2009年11月11日
【熊野三山】熊野本宮大社
和歌山県本宮町の
本宮大社へ行って来た
初めて行ったけどすごい趣
めっちゃ感動
本宮大社がもともとあった場所
大斎原(おおゆのはら)の大鳥居
すごすぎる
このでかさ
このあと熊野速玉大社へ行ったんだけど
車へデジカメ忘れてしまって写真が無い(ToT)
でもでもほんとすごい癒されるよね
>続く
本宮大社へ行って来た
初めて行ったけどすごい趣
めっちゃ感動
本宮大社がもともとあった場所
大斎原(おおゆのはら)の大鳥居
すごすぎる
このでかさ
このあと熊野速玉大社へ行ったんだけど
車へデジカメ忘れてしまって写真が無い(ToT)
でもでもほんとすごい癒されるよね
>続く
2009年09月28日
南紀白浜アドベンチャーワールド
和歌山県白浜町の
アドベンチャーワールドに行ってきた
ほんと保育所の遠足以来だよ
テンションあがりまくりでした
休日のおやじ…
違うって??
そう
梅浜&永浜
すげーかわいいの
ついつい時間を忘れて見とれてしまった
それにしてもこのダレてる感じが
まさに休日のパパだよ(;^_^A
カワウソ
かわいいのに
魚食べてる姿がいかつすぎる…
それでいいのか?
アドベンチャーワールドに行ってきた
ほんと保育所の遠足以来だよ
テンションあがりまくりでした
休日のおやじ…
違うって??
そう
梅浜&永浜
すげーかわいいの
ついつい時間を忘れて見とれてしまった
それにしてもこのダレてる感じが
まさに休日のパパだよ(;^_^A
カワウソ
かわいいのに
魚食べてる姿がいかつすぎる…
それでいいのか?
2009年09月23日
そうだ…行こう! 第3弾
これでラスト
屋島へ到着
長崎の鼻砲台跡地とは
「1853年(嘉永6年)ペリーが軍艦を率いて浦賀に渡航して以来、
国内では、海防の必要性が強く叫ばれるようになりました。
讃岐では、1863年(文久3年)幕府の命を受けた高松城主松平頼聡
が高松の港を守るため、ここに砲台を築きました。・・・。」
と看板にあります。
砲台跡
この時代に鉄あったんだって
思ってしまった…
そりゃあるよな(;`・д・`)
そこにいてたおっちゃんも
ある意味貴重!!
いつもいてるんかわからんけど
もし行ったら会ってみて
すげーよく喋るから('σЗ')
ついつい撮っちゃった三角点
屋島の風景
はっきり言って
眺めがすごい良いです
でもすごい強風でした
今回は行けなかったけど
この山の頂上に
遊鶴亭
ってゆう展望台があるらしいです
屋島ドライブウェイを登っていくと
所要時間8分で屋島山頂へ。
途中に、展望台がいくつもあり、
展望抜群。途中ミステリーゾーンがある。
他には…
屋島寺…弘法太子空海の84番札所。
四国村…屋島の麓にある。昔の讃岐の人々の暮らしを再現。
獅子の霊巌…瀬戸内海随一の展望。瀬戸内海、高松市が一望できる。
血の池…源平合戦の時、勝った源氏が血刀を洗ったためこの名がついた。
談古嶺…源平の古戦場「檀の浦」が一望できる。屋島三大展望のひとつ。
があります。
長崎の鼻のテッペンからの夕日
どんな場所で見ても夕日は
やっぱ綺麗だな
屋島へ到着
長崎の鼻砲台跡地とは
「1853年(嘉永6年)ペリーが軍艦を率いて浦賀に渡航して以来、
国内では、海防の必要性が強く叫ばれるようになりました。
讃岐では、1863年(文久3年)幕府の命を受けた高松城主松平頼聡
が高松の港を守るため、ここに砲台を築きました。・・・。」
と看板にあります。
砲台跡
この時代に鉄あったんだって
思ってしまった…
そりゃあるよな(;`・д・`)
そこにいてたおっちゃんも
ある意味貴重!!
いつもいてるんかわからんけど
もし行ったら会ってみて
すげーよく喋るから('σЗ')
ついつい撮っちゃった三角点
屋島の風景
はっきり言って
眺めがすごい良いです
でもすごい強風でした
今回は行けなかったけど
この山の頂上に
遊鶴亭
ってゆう展望台があるらしいです
屋島ドライブウェイを登っていくと
所要時間8分で屋島山頂へ。
途中に、展望台がいくつもあり、
展望抜群。途中ミステリーゾーンがある。
他には…
屋島寺…弘法太子空海の84番札所。
四国村…屋島の麓にある。昔の讃岐の人々の暮らしを再現。
獅子の霊巌…瀬戸内海随一の展望。瀬戸内海、高松市が一望できる。
血の池…源平合戦の時、勝った源氏が血刀を洗ったためこの名がついた。
談古嶺…源平の古戦場「檀の浦」が一望できる。屋島三大展望のひとつ。
があります。
長崎の鼻のテッペンからの夕日
どんな場所で見ても夕日は
やっぱ綺麗だな